秀吉の呼び名

秀吉神話だが彼が猿と呼ばれていたというのは判らなく、日吉と呼ばれていたとも言うが、これは日吉神社が猿を奉っているという事から関連づけられているのであろう。
父は弥右衛門、母はその後天皇よりも尊いと言われるようになるなかです。弥右衛門は信長の父・信秀の時代織田家の足軽として仕えたという記録があります。
これは息子の秀吉が造りあげた履歴かもしれないが、当時の可能性を考えると充分あり得ます。
多分弥右衛門は多分長男ではなく、この時代土地などの資産は長男が受け継ぐものとされていたのです。
でなければ土地などが細分化されてしまい、田畑耕作に向かない土地になってしまうからです。
彼はたぶん長男ではなかったので、耕作する土地を自分で手に入れるしかなかったのです。
織田家の足軽として手柄を立て、金銀を手に入れ土地を手に入れようと思ったのも不思議ではないが、一方で、織田家側もそういう人材を求めている時期であったのです。
しかし望みをかけた足軽という仕事で手柄を立てる事は出来ず、逆に刀傷を負うという結果になってしまったのです。
土着し農民となった彼はなかとの間に、猿の様な顔をした一男と一女をもうけるが、戦のキズがもとであろうか彼は死んでしまうのです。
タグ:織田信長
posted by 織田信長ファン at 11:58 | 家臣
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。