猿と信長

藤吉朗の情報も見逃せないが彼は信長に拾われる前、猿と呼ばれていた時期、義元の地元の遠州にいたのです。
義元を見たか、信長は義元の容貌について藤吉朗に質問しているのです。
藤吉朗は仕えていた主人より聞いていた事を信長に話したのです。
移動は籠か輿で行うという、あまりにも胴が長く足が短い為に馬を股間で挟めない為だと言います。
この話で彼の軍の移動の速度はきわめて遅いという重要情報を入手したのです。
また、信長はこの話で奇襲に分ありという認識をより強固なモノにしたのです。
この輿は織田軍にとってどこに義元がいるかという印の役目もはたしているのです。
輿の中にいる人間か輿の回りで一番保護されている人間が義元という事になるのです。
さて、義元の死で今川氏の人質だった松平元康が解放される事になるのです。
彼は義元の人質になる前織田家の人質でもあったが、幼い吉法師と面識があり、当時戦争状態だった織田家と松平家がこの事を契機に連盟関係になり、両者に大変な利益となるのです。
織田家は西に対して勢力を伸ばす、松平家は東に勢力を伸ばすという相互不可侵条約が成立したのです。
結果、信長は東からの驚異を一切気にせず西に対してのみ勢力を集中すれば良い事になったのです。
家康も故郷三河から東にかけて全勢力を注入し、結果岡崎とは遠く離れた江戸に幕府を開くまでになるのです。
posted by 織田信長ファン at 11:54 | 家臣
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