後継者がもたらしたもの

秀吉には妻がいたが子が出来なかった為、天下を意識したあたりから側室を多数作り嫡子の作成がその主な仕事になったのです。
信長の妹、お市の方には3人の娘がいたが、そのうち茶々は秀吉自身が側室とし、お江は家康の息子の秀忠の嫁になったのです。
両方に各々の子は出来たのでそういう意味で秀吉も家康も信長の正当な後継者として権利は引き継いでいる事になるのです。
大阪冬の陣と夏の陣はその二人いる後継者のどちらが他一方を排除するかという争いであったのです。
秀吉の妻ねねはこのとき自分の夫の側室を味方せず家康側に味方したのです。
積極的な意志を持って豊臣配下の家臣を裏切らせ家康側に味方するように画策したのです。
その為家康は豊臣政権崩落後、彼女に対して多量の化粧料を与えるなどして手厚く処遇しているのです。
秀吉の側室とその子に対しては相当な怒りを感じていた様ですが、秀吉生前はガマンしていたが、死後に側室・淀君に対して対当したのです。
秀吉に対する間接的復讐といってよいのです。
posted by 織田信長ファン at 19:32 | 家臣
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